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神奈備トップの裏切り

まだ確定ではありませんが、神奈備トップが裏切って真打に仕込まれた玄力を見逃していた可能性が出てきました。
今回の話を見る限りでは神奈備の長官である嘉仙という奴が裏切ったように描かれてましたけど、もう1人居た夜弦という奴が裏切り者である可能性も高いです。
しかし、座村が裏切ったり松おじさんに玄力を仕込まれた隊員が沢山居たり、カグラバチは裏切り者が多いですね。
というか、相変わらず神奈備が組織として脆弱すぎるし逆に毘灼は裏工作が上手すぎる。
こんなに裏工作がメインの敵組織もジャンプでは珍しい気がします。
もはやメインキャラ以外誰も信用ならないんですけど、ここまで来たら逆に毘灼のメンバーも1人ぐらい裏切って仲間になってほしいです。
そうじゃないとあまりに毘灼の思い通りすぎて面白くない。
幽が真打の力を使う

神奈備側の裏切りがあった事で幽が真打の力を使う展開になっていました。
事前に玄力を込めていて真打と剣聖と繋がってたみたいで、少し前に目の中が真っ黒になっていたのもこの影響だったみたいです。
一体どういう作戦なのかと思ってたんですが、まさかここで真打の力を使ってくるとは思ってませんでした。
これを使ってしまうと毘灼のトップである幽が死んでしまいそうですし、下手したら漆羽や奈ツ基も殺されそう。
かと言って真打の力を使って誰も死なないとなると展開として緩すぎるので、一体どうなるのか。
幽が真打を制御してラスボス化し一旦退散、幽含めてあの場にいるキャラ全員死亡、幽だけ死んで剣聖と真打が封印から解放など色々考えられます。
先が読め無さすぎて期待と不安が半々です。
まとめ
今回はまた衝撃展開の回だったんですが、それだけに絵が荒れてるのが残念でした。
全体的に線が荒いし下書きみたいなコマもある。
次回がカラーとはいえ荒れる頻度が高すぎる。

展開が面白いだけに勿体無いなあ
コメント
正直外薗先生に2号連続カラーやる体力無さそう
また絵がボロボロになりそうです
毎度絵が荒れてるっていう評価がよく分からんな
作者の一番良いコンディションと比べての基準で言ってるんですか?
週刊でやるならこんなもんだとすればこれが作者の普通ってことだし、他の漫画家と比べれば荒れてるなん全く思わない
むしろ迫力のある素晴らしい絵じゃないかな
単行本買ってる?
結構単行本で見ると前回ど迫力神作画だったのが、次の回でいきなりざかざかのっぺり絵になってて
すごいよマサルさんのアニメ並みに作画に落差あってビビるよ
修正してるであろう単行本でこれだから本誌連続で読んだ時のアレ?感は異常
強弱激しいかっこいいタッチからサインペンみたいな線になったチェンソーマンの漫画家と比べてならカグラバチは安定してると思うけども
明らかに前回より線が荒いんですけど見て分からないんですか?
意図が全く伝わってないようだから分かりやすく説明しますね
つまりそれは作者の中での相対評価ってことですよね?
作者のベストの状態と比べてどうかという話
それは確かに上下することはあるだろうけど、週刊でやっててそういう上下が避けられないなら、それが作者の平常状態だろってことです
それが他の漫画家と比べて明確に劣っていて問題になるという話でもないなら、大したことでは無いんじゃないかって言いたいんですよ
そんな差異が無性に気になるなら仕方ありませんが、漫画読むのにそんなことよりもっと重要なことがあるんじゃないか?と私の視点からは不思議に思えるということです
どう考えても週刊連載の中で作者の負荷限界でそういう差が生まれてるわけだから言っても仕方ないし、スタンダードが他の漫画家よりはるかに高いなら、クオリティを一定に保つことがそれだけ難しいことは理解できますよね
ストーリーに関する批評は一理はあると思っていつも読んでます
付け加えるなら、「こっちは別に改善点、改善され得る点を提案したい訳じゃない」「こっちは客なんだから限界など知らん。いつでもベストの品質を提供できないなら批判する権利はある」というスタンスで語っているのなら、もちろんそういう権利はあるとは思ってます。
また、もし「カグラバチの価値の大半は作画にある。毎回ベストの作画クオリティを出して読者を圧倒できないならこの漫画の存在意義が無い」という考え方なら、絵のクオリティの変動について厳しく批判することも妥当だと思います。それに対して私は漫画は総合力だと思っているので、作画に関しては限られた資源の中でここぞというところに注力するという作家の判断があるなら許容する立場で、むしろ現実的にはそれがベストのやり方だとさえ思っています。
実際作画に全ての力を注いだところでそれでストーリーが劣化すれば上手くいかんし打ち切りになるのが現実だろ、と思っていしまいます。(今のカグラバチのストーリーが成功してるかは別の話ですが)
もしカグラバチほどの作画が絵が荒れてるという批判を喰らうなら、絶対的評価であれば絵に関して批判されるべき漫画だらけになってしまう。学校で例えて言うと、普段成績の良い奴はちょっと成績が下がると普段を基準に批判されて大変だなぁと思いますね。(しかも本人のやる気が無い訳ではない。殺人的なスケジュールの中で部活でも卓越した結果を出さなければ退学になる、みたいな状況)
前から言ってますが他作品と比べても明らかに荒いです
見て分かりませんか?
線の荒らさだけに着目すれば確かにカグラバチよりも線が綺麗な漫画はいくらでもありますが、そもそもカグラバチはもとより線がとりわけ綺麗な画風ではありませんでした。
線の綺麗さよりは構図の大胆さやポーズのダイナミズム、動きの躍動感、迫力こそが魅力だったわけです。
漫画のみならず作画の価値というものも総合力ですから、仮に元から取り立てて武器では無かった線の綺麗さが、週刊連載の限界的な状況の中でクオリティが落ちることがあっても、作画の総合的なクオリティで判断した方がより公平ではないかという話です。
線が荒れたり、その他作画のクオリティが下がったとしても、総合的に見て、私には他の漫画家と比べても十分魅力的な作画であるように映りますが、めぎしすさんにとってはそうではない、そこを問題にしたい、ということですか?線の綺麗さを最重視するというのは個人の嗜好ですから全く問題ありませんが、であれば最初からカグラバチの絵に向いていなかったということではないでしょうか?それなのに、めぎしすさんはカグラバチにおける最高の作画は高く評価してるわけですよね?
それって多分、線の綺麗さとは違う部分で評価してたんだと思うんですがいかがですか?
また、週刊連載という極限的状況に対する情状酌量という点に関しては何も触れられていませんが、これは賛同いただけたということで良いですか?